Archive for the Category ◊ コントロール ◊

• 月曜日, 11月 04th, 2013

落ち込んでいる、あるいは神経症であることは受け身的である。私たちは犠牲者である。私たちにはそれをコントロールすることができない。病名として名詞や形容詞を使うことは、自分が無力であると信じることを正当化する。あなたは今、白分のしていることを選択しているのだ。しかし、より良いことを選択する能力も持っている。選択であれば、行動に対して責任がある。動詞であるからには、精神病の犠牲者ではない。あなたは自分の良い選択を楽しむか、悪い選択の犠牲者になるかのどちらかである。流感や食中毒にかかったというような意味での、病気なのではない。自発的セレクション理論の世界は弱々しい世界でなく、責任ある世界だ。自分のしていることの責任を逃れるために文法を悪用することはできない。 more…

• 火曜日, 10月 29th, 2013

最高と思われた選択が必ずしも良い選択ではなかった例を考えてみよう。一人の男性が公園を歩いていた。突然、彼は服を全部脱いで、丈の低いサボテンの繁る区画に飛び込み、ゴロゴロと転がり始めた。見ていた人たちが、とげが刺さって血だらけなった男を引っ張りだした。「どうしてこんなことをしたの」と尋ねると、彼は答えた。「こうするのが、良い考えのように思えたからです」私たちは人生で、サボテンの上を転げるような経験をしているが、自分を傷つけようとしてそうするのではない。飛び込んだときにはいつも、良い考えのように見えたからである。離婚を扱う弁護土は、何度もサボテンの上を転がる人がいるので繁盛している。離婚を繰り返す人は、その都度それが最善のように思えるからである。 more…

• 水曜日, 10月 23rd, 2013

自分の感情を直接コントロールし良い気分を選択するというのは、テニスのような行為行動を選択するのとは違うし、チェスのような思考行動を選択するのとも違いますね。しかし、たとえ直接感情をコントロールできなくても、感情ばかりか、生理反応の多くも間接的にコントロールできることに気付くようになるかもしれない。あなたが全行動を選択するときに、常に四つの構成要素すべてが関与しているが、直接コントロールできるのは行為と思考だけである。あなたは反論するかもしれない。自分の考えをコントロールできないと思えることがある。頭の中で繰り返し考えていることがやめられない。それに対する反論はこうである。どんなにそれがみじめなものであっても、あなたはその繰り返し考えている思いを選択しているのだと。 more…