Archive for the Category ◊ 行動を選択する ◊

• 金曜日, 11月 01st, 2013

落ち込んだときには、誰にも経験があるように、緩慢な活動は自分の意思と無関係に思える。しかし、そうではない。もしもっと努力をする選択を欲すればそのような選択をした。それも可能だ。彼はカウンセリングを受けにくる選択は、落ち込みを選択していると教えている。何らかの全行動を選ぶのと本質的に同じだ。落ち込みは、この状況のなかで思いつくどんなものよりも、彼の人生をより良くコントロールしている。彼のサボテン公園に飛び込むやり方なのだ。自分では気ついてはいないけれど、彼は、さもがそうであるように、子供のときに落ち込むことを学習している。そのとき以来多くの機会に落ち込んできた。この状況で選択した落ち込みがあまりにも大きかったので、私に助けを求めに来た。落ち込みは苦痛ではあるが、この状況で落ち込まないのは、もっと苦痛であっただろう。 more…

• 木曜日, 10月 31st, 2013

彼は落ち込んでいると言った。この場合、彼がこのみじめさを選択していると言ったが、直接選択しているとは言っていない。彼が直接選択していたのは、落ち込み(あるいは落ち込みを選択している)と呼ぶ、行為と思考という全行動の構成要素である。彼が落ち込んでいるかぎり、頭の中には同じ不幸な思いが去来し続ける。彼は繰り返し繰り返し次のように考えた。彼女が家を出ていかなければよかったのに。帰ってきてほしい。彼女に対して違った抜し方をしていればよかった。彼女が戻ってこなかったらどうしよう。このようなみじめな思いを持ち続けると、彼は不活発になり、まるで麻痺したかのようになった。何をするにも努力が必要で、起きて、仕事に行く気にもなれない。不活発になれば、生理反応はより一層明白に関わってくる。いつも疲労感があり、何をする気にもなれない。完全なエネルギーの欠如。 more…

• 水曜日, 10月 30th, 2013

彼の思いが繰り返されているのも、彼なりのやり方で試みているのですね。彼の論理はこうである。妻のことを考え続けていれば、彼女を連れ戻す考えを思いつくかもしれない。妻が帰ってこないかもしれないとは絶対に考えたくない。ここで、私たちが感じていることをどのように間接的に選択するか、また生理反応をどのように間接的に選択するかに焦点をあわせてみよう。私たちは、自分の行為と思考に対しては、ほとんど完全に近いコントロールをしている。私たちの感じていることと生理反応は、選択された行為と思考から分離できない。頭を壁にぶつけるという行動を選択すれば、痛い経験をする。「この場合この行為と思考を選択したことから来る苦痛を、自分が選んでいると言えるのではなかろうか」みじめに感じれば、お酒を飲むという行動を選択するかもしれない。 more…