Archive for ◊ 11月, 2013 ◊

• 火曜日, 11月 05th, 2013

こういったことに気づくと、個人の自由の大きな再定義となります。状況は絶望的で、何もできないとても不快なものである。自発的セレクション理論や精神病について何も知らず、何百万人もカウンセラーの所にも行かずに、自分の人生で落ち込むことよりも良い選択をしている。あなたにもできるはずだ。大幅な昇給を期待していたのに、結果ははした金であった。しばらくは腹を立てるが、仕事を失いたくないので、すぐに気分が落ち込む。いつまでも落ち込んでいないで、次のように自分に言ってみることだ。「私は落ち込みを選択している。期待していた額の昇給が得られなかったからだ。この状況に対処するのに、この落ち込みを選択することはどのように役なっているだろうか。無益なら、もっと良いことを選択することはできるだろうか」頭の中でこうして考えてみると、いつまでも落ち込んでいることが困難になることに気づくでより良い全行動を見つけようとするだろう。上司を恨むより、昇給を得るためどんなことをしたら良いだろうと考えることができる。あるいは、文句を言うのはやめて新しい什事を見つけることもできる。あるいは、配偶者に、「できることは全部したので、少しばかり助けてくれないか。そうすればこの状況を克服できると思う。みじめったらしくしているのはばかげている。誰だってみじめなのはご免だ。君が側にいて、僕が最善を尽くしたということを受け入れてくれれば、僕はすぐに立ち直る」ということもできる。配偶者にこのようにお願いすることができない男性が本当に多いんですよね。自分の弱みを見せるのが怖いということなんでしょう。でも弱みを見せてすべてをさらけだすことができると、今まで以上に深い関係性を築くことができるのです。出会った頃の刺激は例えなくなったとしても、それよりも尊い二人の深い絆を結ぶことができるのです。お互いが助け合うという素晴らしさを多くの人が理解し実行してもらいたいですね。
セックスしたい

• 月曜日, 11月 04th, 2013

落ち込んでいる、あるいは神経症であることは受け身的である。私たちは犠牲者である。私たちにはそれをコントロールすることができない。病名として名詞や形容詞を使うことは、自分が無力であると信じることを正当化する。あなたは今、白分のしていることを選択しているのだ。しかし、より良いことを選択する能力も持っている。選択であれば、行動に対して責任がある。動詞であるからには、精神病の犠牲者ではない。あなたは自分の良い選択を楽しむか、悪い選択の犠牲者になるかのどちらかである。流感や食中毒にかかったというような意味での、病気なのではない。自発的セレクション理論の世界は弱々しい世界でなく、責任ある世界だ。自分のしていることの責任を逃れるために文法を悪用することはできない。 more…

• 土曜日, 11月 02nd, 2013

彼が会いに来て、落ち込んでいると言ったときに、彼は自分が選択している全行動の最も明快なものに焦点をあわせていた。彼は落ち込みの行動をしているとは言わなかったが、自発的セレクション理論を教えたらすぐにそうするようになった。自発的セレクション理論は、この落ち込みを選択している理由を説明してくれる。実際、通常精神病と思われる全行動、例えば不安神経症とか、恐怖症についてふれるときに、全行動を表す表現を使うことにする。不安神経症は、不安行動もしくは不安の選択、恐怖椛は恐怖行動もしくは恐怖の選択、と表現される。最初はこのような名前は煩わしい印象を与えるかもしれないが、慣れてくると自然になる。伝統的な表現よりも正確である。 more…

Category: 痛み  | Leave a Comment
• 金曜日, 11月 01st, 2013

落ち込んだときには、誰にも経験があるように、緩慢な活動は自分の意思と無関係に思える。しかし、そうではない。もしもっと努力をする選択を欲すればそのような選択をした。それも可能だ。彼はカウンセリングを受けにくる選択は、落ち込みを選択していると教えている。何らかの全行動を選ぶのと本質的に同じだ。落ち込みは、この状況のなかで思いつくどんなものよりも、彼の人生をより良くコントロールしている。彼のサボテン公園に飛び込むやり方なのだ。自分では気ついてはいないけれど、彼は、さもがそうであるように、子供のときに落ち込むことを学習している。そのとき以来多くの機会に落ち込んできた。この状況で選択した落ち込みがあまりにも大きかったので、私に助けを求めに来た。落ち込みは苦痛ではあるが、この状況で落ち込まないのは、もっと苦痛であっただろう。 more…